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空の下

 水面に影を落とすヘリコプターは、バラバラバラと耳障りな音を立てて私の上を通り過ぎていった。
 鐘だけが突き出た教会の尖塔は、水の上に紺色の影を落としている。
 私の足元は、何本か電柱の先が出ており、それに引っかからないように注意して歩く。
 ちゃぽんと音を立てる私の足元は、灰色がかった水の中にある。ロングコートの先が濡れそうで、ちょっとだけたくし上げて、前へ前へと進んだ。
 がらーんと、鐘が鳴り響いた。
 いつ鳴り響くかわからない鐘の音。
 鐘だけは、自分が正しいと思って、それを鳴らしているのだろうか。毎日不規則に鳴る鐘。それとも。
 私の時間が狂っているのかもしれない。
 ちゃぽん。また音を立てて私は進む。目の前に見えるは、鐘だけ。あとは灰色の雲に覆われた、青灰色の空。時々電柱とヘリコプター。ふと顔を上げると、太陽がやけに明るくて目眩がした。
 顔を伏せ、帽子を深くかぶりなおし、そしてずり下がっていた肩掛け鞄を掛けなおした。
 そして、進む。
 先ほどまでの沈むような水の音ではなく、かき分けていく水の音。にごった水の下から見えるのは、灰色のコンクリート。
 私は何処へ行くのだろう。
 足は必死で水をかき分けている。
 しかし、私は何処へ行くのか知らない。
 歩く歩く歩く。
 水の下を見つめながら、私は必死で歩く。
 鐘の音はもう聴こえなくなった。私は何処へ行くのだろう。
 波紋は私の足元から、少しずつ大きくなっていき、そして消えていき、増えていく。私が歩く限り減ることは無いが、しかし交わることは無いだろう。
 ちゃぽん。
 足を上げる。
 ちゃぽん。
 足を降ろす。
 ちゃぽん。
 もう一回。
 波紋は、円を描いて広がっていき、そして電柱に当たって消えるはずであった。

  円が、もう一つ。

 私の作った大きな円と、それは交わりそして消えた。
 もう一度私は波紋を描くために足を上げ、そして勢いよく降ろした。
 耳には、沈む水の音が届く。
 もう一度重なり、それは消えた。
 しかし、耳には私が立てる耳障りな水の音しか聴こえない。
 ちゃぽん。
 どんなに耳をすましても。
 ちゃぽん。
 どんなに息を止めたとしても。
 音は一つしか聴こえない。

 帽子の縁を軽く掴み、私は顔を上げた。
 見えたのは、青白く透きとおる白い足と、花のように広がった白いスカート。あごのあたりで無造作に切り落とされた髪は、彼女の顔のまわりを舞っている。
 私を見る瞳は真っ赤で。
 足は、水の上で軽々と踊っている。
 彼女はひたすら踊っている。
 瞳は私を捕らえているのに、彼女はそれに気づいた様子を微塵とも見せず水の上を舞う。

 私は、コートの裾をぎゅっと握り締める。
 思わず後ずさりたくなるが、どうしても音を立てられない。
 彼女は水の上で踊っている。形容など思いつかない。ただひたすらに、楽しげに、手の先までピンと延ばし、ただひたすらに踊り続ける。私は声すら出せやしない。

 あまりにも苦しくて。
 ごくりと。
 私は息を飲み込んだ。

 まるで呪縛が溶けたように、汽車の汽笛がぼぉーと鳴り、私ははっとしてそちらの方を見た。
 私は汽車に乗るべきではなかったか?
 じゃぽり。水の音を立てたとき、彼女は汽笛の方に、そのピンと伸ばした手の先をやると、あの赤い瞳でじっと私を見つめ、そして、スカートの花を残し、消え去った。

 しかし、私はそれすらもう忘れている。
 わたしはじゃぼじゃぼと水をかき分け、あの汽笛へと向かい走っていった。

 汽笛はまだ鳴っている。
 もう何も見えやしなかった。
 水の上を舞う少女と、水をかき分ける人というのは、私のずっと持っているモチーフです。絵でも、小説でも。今回はそれの習作。
 相も変わらず、私の水は、上を歩くものでも、潜るものでもなく、歩くもの。