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薄暗い煙の中に

 紫の煙を吸うと、手足の先がじんじんと痺れて、感覚が分からなくなってくる。
 さて、では部屋の空気を吸おうかと、煙草を口から話してみても、部屋も紫の煙で一杯だ。煙りすぎて天井が見えなくなっている。
 もう一度、大きく煙を吸う。指が冷たい。どこかが麻痺してくる。この感覚が気持ちよくて、もう一服。
 この手足の麻痺もまた、別のところから来る麻痺よりはよい。そう衛宮切嗣は思っていた。
 聖杯からあふれ出た毒を浴びたゆえの、死への麻痺。
 死の文字が身体の闇の奥底からあふれ出て、そして少しずつ切嗣の身体を麻痺させていく。それは煙草とはまた違う痺れだ。望んでいる麻痺と、望んでいない麻痺。望んでいない麻痺を、脳裏から払拭させたくて、切嗣はただでさえ多い煙草を増やした。
 吸殻がうずたかく積もれた灰皿に煙草を押し付け、もう一服。紫煙は更に濃度をまし、部屋の中を侵食していく。もう一服。身体の麻痺が心地よい。
 そう思うことは、多分もう死ぬんだな。そうとも、切嗣は思う。それは泥を浴びた時から分かっていたことだ。分かっていたこと。心の中に諦めが満ち、そしてもう一度切嗣は煙草をふかした。
 時計が鳴った。
 時計はそろそろ、彼の息子が帰ってくる時間を示している。
 ああ、士郎にこの状況をみられたら、こっぴどく怒られるな。
 その状況を想定して、切嗣は楽しそうに笑う。
 煙草を消して、部屋の中の空気を吸う。この空気だけでも十分。士郎が帰ってくる前に、換気だけでもしなければ。そう思って、切嗣は壁に寄りかかって室内の空気を大きく吸った。

「じいさん。またそんなにタバコ吸って!」
 そんな声で目が覚めた。
 見ればランドセルをしょった彼の息子が、大きな声で怒鳴ってる。怒鳴った先から窓を開け換気扇を最大にし、紫の煙を追い出していた。
 世界は健全な空気に包まれ、すこしだけ大きな死の傷が痛かった。
「それになー、ねーちゃんもきてんだよ」
「ねーちゃん?」
 と、
「きっりっつっぐさーん。こんにっちわー」
 はじけた声がして、廊下を走る音が耳に届く。
「大河ちゃん」
「こんにっちわ、切嗣さん」
 大河と呼ばれた少女は、頬を紅潮させて切嗣を見た。この少女が切嗣に好意を寄せているのは誰でもわかっていて、そしてその少女の恋を誰もがあきれながらも、好意的に見ていた。
「どうしたの? 大河ちゃん」
 にこりと笑って、少女の名前を呼ぶ。すると、少女はなおさら舞い上がるのが楽しくて、切嗣はことさらに優しい声で彼女を呼ぶのだった。
「え、あの、あの」
「ねーちゃん、言うことがあるんだろ。さっさと言えよ」
「むー。かわいくない」
「かわいくなくていいよ!」
 このまま延々と何時間も続くのが、衛宮亭でよくある漫才だった。
 何時間も続くのだろうか。笑いながら見ていたが、その漫才はすぐに終わるようだった。
 士郎が大河を小突いて、会話を終わらせたからだった。
「ねーちゃん、さっさと言えよ」
「あ、うん。うん……えっと」
 大河は頬を真っ赤にさせて、もじもじしたり、顔を振ったり、紅潮させたりと大忙しだ。さて、これも何時間続くんだろう、そう思って切嗣は見ているが、どうやらすぐに少女の中の葛藤も終わったらしい。
「あ、あのですね……あの」
「うん」
「私、今度、剣道の全国大会に出ることになったんです」
 少女が、かなり強い剣士だということは、この街では誰もが知ることだ。
「で、切嗣さん、いつも忙しいからって、見に来て貰えなくて」
 忙しいのも事実。ただ、この少女の剣士姿は何かとだぶる姿に見えて、どうしても見ることが出来なかった。まったく違う少女。まったく違う剣士。こちらが凛々しい剣士ならば、あちらは凛々しくも雄々しい騎士王。まったく違う。しかし、だぶる。彼が呼び出して、彼が道具のように扱い、そして捨てた騎士。それに後悔はしていない。しかしどうしてその姿がだぶるのか。そしてその姿を見て、心が痛むのか。
「あ……」
 切嗣がしばらく堪えないことを、否の返事と受け取ったのか、
「あ、いいんです、いいんです! 切嗣さん忙しいし! でも、せっかくの全国だから、せっかくこの近くでやるから……見に、きて、欲しいなあ……って」
 最後の言葉は、よく聞き取れなかった。うつむいて、口の中でごにょごにょと何かを言っているだけだ。勇気を振り絞ったが受け入れられない、その辛さは良く分かっていて、だから少しでも痛くないように、その言い訳を口の中でつぶやいていた。
「駄目……ですよね」
「いいよ、行こう。いつだい?」
「へ?」
「行くよ」
「え! えええええ!」
 諦めていた少女の顔が、歓喜の表情に変わった。切嗣の手を取り、ぶんぶんと振り回す。彼の息子は、いいのかなーという半ばあきれの表情で、父と少女を見ていた。
 その痛みは既に、彼の後ろで待っている。
 その痛みが来るならば、少しの痛みくらいいかな。そう思っていたことを、少女は、知らない。



 私は煙草をあまり吸わないので、この煙草の感覚が正しいか分かりませんが、私の乏しい煙草吸いからぼんやりと。